未だ30代中盤をさまよっています黒木です。
欲しいものは、地位とお金と名誉!……ではなく、強靭な体と精神力ですw
本日、7月22日は、私の父の誕生日です。
が、そんな父も昨年9月に亡くなりました。
早いものでもうすぐ1年が経とうとしています。
小さい頃から鬼のように強く、雷よりも地震よりも圧倒的に父のほうが怖かったですw
今の時代で置き換えると、完全に幼児虐待レベルの躾(門限1分すぎたら、玄関に仁王立ちしていてグーパンw)でしたが、大人になった今はそれもたいそうありがたく感じております。
欲しいものは、地位とお金と名誉!……ではなく、強靭な体と精神力ですw
本日、7月22日は、私の父の誕生日です。
が、そんな父も昨年9月に亡くなりました。
早いものでもうすぐ1年が経とうとしています。
小さい頃から鬼のように強く、雷よりも地震よりも圧倒的に父のほうが怖かったですw
今の時代で置き換えると、完全に幼児虐待レベルの躾(門限1分すぎたら、玄関に仁王立ちしていてグーパンw)でしたが、大人になった今はそれもたいそうありがたく感じております。
ここ数年で、曽祖母を亡くしたりと身内の死を体験しましたが、父の死はこたえましたねぇ。
告別式の日には、39℃の熱を出しました。
しかし、私の仕事に喪中の「喪」の字もなく、告別式の翌日には、表参道でイベントのメイクをしておりました。
ビタミンCを死ぬほど摂取し、飲める薬は飲めるだけ飲んで会場入りしたら、滝汗でした(汗)
目の下にくまができていますが、前日に父親の葬式だったとは思えない顔に復活。(でも熱でボロボロw)
今振り返ると、父の死は当然悲しいものでありましたが、やりきった感、達成感とともに、
「おやじ、お疲れ様!」
という気持ちが大きかったですね。
難病にかかり、一時期寝たきりになった父。
私も2年間の在宅介護を経験しました。
当時は、徘徊も多く、オムツを脱いでは糞尿を撒き散らすという大胆不敵なことをしでかしてくれた父ですが、それも今ではいい経験です。
そう、その頃、息子氏は2歳でしたね。
息子氏のオムツを取り替えて、父のオムツを取り替えて、息子氏をお風呂に入れて、父をお風呂に入れて、小さな子供と大きな子供の世話をしていた感ハンパなかったですねw
何年間も難病と闘った父。
10日間ほど危篤状態が続きました。
家族交代制で個室につきっきりでした。
職業柄、病室でも仕事ができたので大きな混乱はありませんでした。
シワシワになってしまった父の手を握り、衰弱して酸素マスクをつけてしゃべることもできない父と目で会話をしました。
最後の親子の語らいですね。
そして、2015年9月21日、永眠いたしました。
心電図がゼロになり体がどんどん冷たくなっていく様は、ああ、、、本当に亡くなったんだなぁという切なさがこみ上げました。
エンゼルケアと呼ばれる、最後のケア。
「死化粧」というものもありますね。
通常であれば、看護士さんがすべておこなってくれるものですが、「死化粧」だけは看護士さんにお願いして、私が父に施しました。
こんな簡素なキットでしたが、最大限にキレイに仕上げました。
大学を4ヶ月で辞め、専門学校に行くことを応援してくれた父。
そこで手に入れることができた技術を、最後に父にしてあげたかったというのが正直な気持ちです。
私が離婚しても咎めなかった父。(何せ、父もバツ3だからw)
とてつもなく厳しかった父だけど、いなくなってみるとやはり寂しいものです。
だからこそ、今ご両親がご健在の方は、どうか何か1つでも親孝行を。
ご両親が明日亡くなったとしても、後悔のないように。
のこされる我々は、生きられなかった人の分までもしっかりと生きていきましょう。
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